道教の瞑想
「瞑想」という言葉を調べてみると、主に精神修行を指す様です。ここでは、道教の養生法としての瞑想について語ります。
道教の概念によると生き物は、いかなる生命活動をする時も気を消費します。
例えば、目で何かを見れば目の気を消費し、耳で何かを聴けば耳の気を消費します。なので日々消耗する気を補充するために瞑想を行います。
瞑想する時、呼吸で気を補充しながら目は何も見なければ目の気が補充され、何も聴かなければ耳の気が補充されます。
荘子の在宥編(ざいゆうへん)に、気の養生の要訣が書かれています。
この在宥編に出てくる広成子という登場人物は言います。
「何も見ず、何も聴かず、心を静寂に保てば、あなたの身体は本来の調和された状態にもどる。静かで純粋になり、あなたの身体を酷使せず精力の本源を動かさなければ身体を保つことが出来る。目は何も見ず、耳は何も聴かず、心は何も思わなければあなたの生命を保つことが出来る」
瞑想はこの様に太古の昔から中国では、大事な養生法と捉えられています。
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