意拳には、站樁をやる時にする意念活動というものがあります。
意念活動とは、站樁をやる時に様々な意念を使う事です。
王薌斎は何十種類もの意念活動を考案し、それの代表的なものが王薌齋の著作の「站樁功」
に書かれています。
意念活動のうち、一番の基礎は放松活動です。
放松活動では、站樁をする時、全身の力をどんどん抜いていきます。
腕や肩、手首、指、腰、太腿、脹脛、足の裏、爪先はもちろん、額、目、鼻、口、顔の筋肉
までも力を抜いていく様に意識します。
呼吸はゆっくりと緩やかになります。
上手になると何時間立っていても、力を最小限に使っているので疲れません。
むしろ気持ち良くて、いつまでも止めたくなくなります。
1時間ぐらい気持ち良く疲れずに立てる様になると、あとは2時間立とうと6時間立とうと疲
れません。
これは筋力を最小限に使って立つ為です。
単に筋肉が強化されて1時間立てる様になる場合は、2時間立つと1時間立つよりも苦しいで
しょう。
1時間立とうと6時間立とうと同じに感じるには、ひたすら筋力を使わずに姿勢を保つ練習が
必要です。
最近は、站樁は力の培養だと表現する方も多いですが、王薌齋自身は站樁は減力の為にやる
練功法だと言っていました。
力の培養と減力は全く反対と思えるかもしれませんが、実は意拳においては力の培養と減力
は同じです。
筋力を減力する事によって、拙力ではない巧みな力を培養できます。
ですから、この一見矛盾した王薌齋の言葉と後世の意拳家の言葉は同じ事を言っています。
文:ハワイの武術家 Jun Ming
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