中国には剣と刀があります。中国では、剣は古来から神聖な武器とされてきました。周の時代には、剣術は、上流階級の人たちの大事な技芸の一つでした。
紀元前三百年ぐらいに書かれたと言われている道家の経典「荘子」に説剣の篇があり、そこには剣術の高度な哲学が書かれています。
この物語の中に剣術が大好きな趙の王様が出てきます。この王様は剣術家が闘うのを観賞するのが好きで、剣術家を招いては戦わせ、そのせいで大勢の剣術家が死に、趙の国力も弱まっていました。そこで、趙の王子は、荘子に王様に剣術家達を戦わせるのを止める様に説得するように頼みます。
荘子は王様に、天子の剣と一般人の剣について語ります。天子の剣はこの全宇宙であり、この剣で闘う相手はいません。この剣を振うという事は、天地自然と人間を調和させ、天下を治めるという事です。一般人の剣は、相手を斬る為に闘うのに使われます。荘子は、一般人の剣を振う人間は闘鶏の鶏と同じだと説明し、天子の剣を振う立場にある王様が一般人の剣に没頭するのは勿体ないと、戒めます。これを聞いた王様は、剣術家を招いて試合をさせるのを止めました。
この様に、剣には特別な思想が含まれていました。
秦の始皇帝は、自分の護身の為に常に剣を携帯していました。漢王朝の初代皇帝劉邦も剣を常に携帯し、劉邦の死後、その剣は漢の皇室の家宝として重宝されました。
後漢に書かれた「呉越春秋」という小説に女の剣術家が出てきます。この剣術家は、剣術の陰陽の理論や呼吸法、身法を越の王に語る場面があります。この小説の場面から、後漢には中国の剣術は、高度な理論と技術があったという事が推測できます。
道教が出来てからは、道士達が剣を携帯し始めます。今でも道教では、剣には神聖な力があり、神の意志を現す器とされています。

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